なにげない日常を一緒に歩く
前職を辞めてから、元同僚と話す機会がありました。
私が辞めてから、私の担当していた利用者さん(Aさんとします)が、朝食を食べなくなったとのことでした。
毎日「○○さん(私の名前)は?」と聞いてくるそうです。
それを聞いて、Aさんに対し申し訳ない気持ちになりました。
Aさんには重い知的障害があります。
私が担当になる前も、Aさんが食事を拒否したり、自分の部屋から出るのを嫌がって何もしたがらなかったりということがよくありました。
私が担当になり、食事を抜くことが少なくなり、担当になって1年たつころには毎日3食食べられるようになりました。
自分の部屋を出て、散歩に行ったり絵を描くなど色々なことができるようになりました。
私が何か特別なことをしたわけではありません。
ただひたすら、Aさんの話を聞き続けただけでした。
Aさんが「~したよ、がんばったよ」と言いに来ると、「すごいねー、がんばったね!」と一緒に喜び、悔しいことがあったと話しに来ると、「そう、それはつらかったね。」と本人の辛い気持ちを受け止め、本人の話を一生懸命聞きました。
Aさんは、一日の活動が終わる夕方になると私のところに来て、「○○さん(私の名前)、あのねー、今日は~をしたよ!」と笑顔でたくさんおしゃべりをするのが日課になりました。
職員は、食事や入浴をしたがらない利用者さんにやる気が出るよう、色々と声掛けを工夫して誘い出そうとします。
居室から出たがらないAさんに入れ替わり立ち替わり、様々な職員が声をかけに行きました。
中には、「食事に行きなさい」のような指示的な声かけをする職員がいました。
そうするとAさんはますます居室から出ないという意思を固くしてしまいました。
食事や入浴など、大切なことをしようとしない利用者さんに対し、職員はつい、そのことについてばかり本人に話しかけ、本人の思いや言いたくても言えないことがあるのではないかということに思いを向けるのがおろそかになるのかもしれません。
本当は、そんなことでは支援のプロとは言えないのですが。
ふだんから自分の気持ちをわかろうとせず、話を聞こうともしない人が、注意するときだけ自分に話しかけてきても、心が動かないのは当然ではないかなと思います。
Aさんは、私がAさんに何かをしたから食べられるようになったり部屋を出られるようになったりしたわけではないと思います。
おそらくAさんは、自分の気持ちや思いを真剣に聞いてわかってくれる人、本人の一歩一歩の頑張りを一緒に喜んでくれる人がいることで、Aさん自身の持てる力を発揮できたのではないでしょうか。
けれども、私が辞めたことで思いを話せなくなったり、食事が食べられなくなるのでは、私の支援は良い支援とは言えません。
支援の途中で辞めざるを得なかったことを、Aさんに本当に申し訳なく思います。
そういえば、私の祖母は、私の話をいつもにこにことうれしそうに聞いてくれました。
そして、「○○ちゃん(私の名)すごいねー」「○○ちゃん、ありがとう」と常に尊敬と感謝の気持ちをもって接してくれました。
そんなことを自然体でやっていた祖母のすごさに今ごろになって気がつきました。