厳しい冬は春に花を咲かせるためだったと気づいたら、幸せになった

 

ウグイスが鳴き始めました。

今日は森を歩いていると、あちらではウグイスがホーホケキョ、シジュウカラがツーピーツーピー、こちらではヒガラかな?ツツピーツツピーと、鳥たちが存在を主張するかのように賑やかでした。

足元には去年の秋に土に落ちたどんぐりが割れて、中から赤い芽をのぞかせていました。

枯れ枝からは、新芽が出ていました。

森の生命の息吹を感じました。

春を全身で感じました!

 

12月に退職し、少しほっとしたものの、目の前に大きな壁が立ちふさがっているように見えました。

どうしてよいかわからず、自分が壁を乗り越えられるか不安でした。

毎日森を歩くうちに、枯れた木々の間から見える澄んだ青い空、寒そうに真ん丸にふくらんだ小鳥たち、真っ白に雪を被った日光の山々から吹いて来るピリッと緊張感のある北風が、私の疲れた心をゆっくりと癒していきました。

一日一日、できることから少しずつ取り組んでいたら、壁がじわじわと小さくなっていきました。

そして、いつのまにか、春が来ていました。

この春から、長年の夢が実現しようとしています。

 

今日鳥の声を聴いていて、気がつきました。

冬があったから、春が来たんだなー、と。

そう思ったとたん、喜びが全身を満たしました。

退職するまでは心も体も本当に辛かったです。

けっしてあれがいいとは思わないです。

でもあれがなければ、私は夢に向かって一歩を踏み出す勇気を出せませんでした。

あの厳しい冬は、この春に備えるためだったんだなと納得したのです。

この時、職場で受けた傷は癒されたと感じました。

 

今は荷物の片付けがほとんど終わり、引っ越しの準備が整いました。

持ち物の7割、ひょっとすると8割くらいになる量を処分できたことを、自分でも驚いています。

身軽になり、生まれ変わったような気持ちで新しい生活を始めることができそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

支えてくれてありがとう

三月になりました。

家の中は、まだまだ寒いですが、外に出ると春の訪れを感じるようになりました。

 

いつも散歩する森で、ガビチョウのさえずりを今年初めて聞きました。

ガビチョウとは、画眉鳥と書き、もともとは日本にいなかった鳥、外来種だそうです。

私の持っている鳥図鑑に載っていないので、美しいさえずりが気になりつつも去年までこの鳥のことは知りませんでした。

裏の林であまりにきれいな大きな声でさえずり、家の中まで聞こえてくるので、気になってネットで調べてわかりました。

冬の間は、森の鳥たちはジジッ、とかピーとかいう地鳴きだけで、さえずりは聞かれませんでしたが、おとといあたりからシジュウカラもツーピーツーピーとさえずるのが聞かれるようになりました。

そして、恐れていた新しい看板が立っているのを発見しました。

「クマ出没注意」です。

熊の糞が発見されたので注意してください、と。

糞で良かった、これからは人間に出会うことなく、おだやかに熊生を全うするんだよとつぶやきながら通り過ぎました。

 

春と言えば、移住です!

引っ越しの日が迫り、荷造りに追われています。

長い間お付き合いのあった美容院やお店などで最後の買い物をし、引っ越しのあいさつをしました。

「近くに来たら顔を出してくださいね」

「困ったら電話してくださいね。引っ越してもお付き合いが終わるわけではありませんから。」

と声をかけてくださいました。

いろんな人たちの働きによって私の生活が成り立っていたのだなとしみじみ感じ、感謝の気持ちがわいてきました。

私の住むこの美しい町を去るのが、ちょっとさびしくなりました。

 

私の住む町は、里山の景色が広がる美しいところです。

特に新緑の頃は、周りを囲む山々が新芽の薄緑や山桜のピンクなどのパステルカラーに彩られ、特に山桜は誰が見るわけでもないのに山々のあちこちで咲いて、ため息が出るくらい美しいです。

小さな町ですが、スーパーや郵便局、役場、医院など歩いて行ける範囲にそろっていて、大きな病院に行く町の乗り合いタクシーもあり、それでいて渋滞とは無縁で、交通事故も少なく、便利で過ごしやすい町です。

住んでいる人々は、引退世代が多いせいか、穏やかに静かに暮らしている人が多いように思います。

知らない者同士でも会釈やあいさつ、譲り合いをすることが日常的にあり、私も心穏やかに過ごしてきました。

私はこの町がとても好きで、この町で生まれ育ったわけではありませんが、この町で一生を終えてもいいかなと思っていました。

 

移住を決めたのも、この町が嫌で決めたわけではないのです。

この町でこのまま住んでいれば、高齢になってもなんとかやっていけそうな気がします。

けれども一方で、50代後半という年齢になり、やり残した夢があり、このままでいいのかという心の声が聞こえてきました。

そして、勇気を出してもう一回チャレンジしたい、一生は一回きり、後悔したくないという心の声に従うことにしたのです。

移住が失敗するかどうかはやってみないとわからないし、失敗成功ではなく、私の人生なので私が満足していればいいことだ、失敗してもチャレンジした自分にきっと満足できるだろう、と思いました。

それで、どうしてもうまくいかなかったら、またこの町に帰って来よう、と思いました。

 

引っ越しの日が迫り、けっこうドキドキ、武者震いするような思いがしています。

誰も知っている人のいない土地でやっていけるのか、もちろん不安がないとはいえませんが、心を込めて自分の仕事をし、人との出会いを大切にし、あたたかな関係を築く努力をしていくことで新しい環境に慣れていかれたらいいなと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

移住と断捨離

 

私は整理整頓が苦手だ、ということに気づきました。

実をいうと、以前からうすうす気づいてはいたのですが、得意でなくても、人並みぐらいにはできてるんじゃないかと思っていました。

 

2か月ほど前から、引っ越しの為、断捨離と荷物の整理をしています。

遠方への引っ越しで料金がかかるため、荷物を最小限まで減らさなくてはなりません。

物や書類などはいつの間にかすぐ増えるのに、減らすのがこんなに大変だとは知りませんでした。

大切な本や書類を棚の奥の方から引っ張り出すと、シミや変色、ほこりでだいぶ傷んでいました。

長いこと忘れていた大切なものが出てきたりしました。

しまいこんでずっと着ていなかったセーターが虫に食われ、穴が開いていました。

書類は一つ一つ中身を確認しながらシュレッダーにかけるので、手間がかかりました。

と同時に、思い出したくないことを思い出したり、友人からの心のこもった手紙を見つけて、たくさんの心遣いをしてもらったことをすっかり忘れてしまっていたことに気づいて申し訳なく思ったりと気持ちが揺れ動きました。

 

この2か月の断捨離でつくづく感じたことは、私のような整理整頓が苦手な人は、物は少ない方がよいということです。

あれもこれも必要かもしれないとしまっておくと、結局本当に大切なものの管理ができなくなってしまうからです。

本当に大切なものだけにして、すぐに手に取れる状態にしてあれば、管理できずに傷んでしまったり、奥にしまいすぎて出すのがおっくうになったりしなくて済んだのではと思います。

思い出したくないものはさっさと捨ててしまえばよかったと思いますし、友人からの大切な手紙は、目に留まりやすいところにあれば、恩を忘れることもなかったでしょう。

整理整頓の上手な人からしたら、あたりまえのことでしょうけど。

だらしない話で、恥ずかしいです。

 

断捨離を始める前、どうにもやる気が出なくて、断捨離の本やミニマリストの本を読んでみました。

それで、多くの物をかかえて身動きが取れなくなっている自分に気づき、変わりたい、軽やかになりたいと少しやる気が出てきました。

やる気が出たところで、とりあえずできることから始めましたが、もう必要ないと思うけど捨てるのは辛いという物(本や衣類)がけっこうあり、本当に困りました。

中古品として売ればよいのですが、それも辛かったので、古本販売を障害者の仕事としている障害者就労支援施設に連絡し、大切に持っていた大量の本を引き取ってもらいました。

大切にしていた衣類は、リサイクルをして必要な人に届けているNPO法人にお願いすることにしました。

そうすることで自分の気持ちの整理がついて、手放すことができました。

 

移住先では、しばらくは仮住まいになります。

家電などはそちらで貸していただけるので、自分の家電や家具は処分していきます。

家を見つけて引っ越したら、近くで家電などを購入しようと思います。

そうすれば、2回の引っ越しが少し身軽にできると思います。

現地の移住センターで、そのようにしている移住者が多い、と教えていただきました。

家電の処分はリサイクル料がかかるものもあり、自分で一つずつ処分すると搬出や手続きなどなかなか大変です。

リサイクルセンターで教わった便利屋さんにお願いしたら、私では処分が難しい家電と家具を引き取ってもらえることになりました。

パソコンの処分については、私が調べた限りではデータ消去は有料のところがほとんどでしたが、ヤマダ電機のインバースネットというところに頼んだら、送料、処分料、データ消去ともに無料でした。

(ただし、データ消去済の証明書は発行しないとのことですので、証明書が欲しい人には向いていません。)

 

断捨離は、頭も心も労力もたくさん使い、時間もかかりました。

でも、片付いていくのを見ると、必要に迫られて始めたことでしたが、やってよかったなと思います。

これからは、本当に大切なものだけを手元に置いて、大切に扱っていこうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なにげない日常を一緒に歩く

 

前職を辞めてから、元同僚と話す機会がありました。

 

私が辞めてから、私の担当していた利用者さん(Aさんとします)が、朝食を食べなくなったとのことでした。

 

毎日「○○さん(私の名前)は?」と聞いてくるそうです。

 

それを聞いて、Aさんに対し申し訳ない気持ちになりました。

 

 

Aさんには重い知的障害があります。

 

私が担当になる前も、Aさんが食事を拒否したり、自分の部屋から出るのを嫌がって何もしたがらなかったりということがよくありました。

 

私が担当になり、食事を抜くことが少なくなり、担当になって1年たつころには毎日3食食べられるようになりました。

 

自分の部屋を出て、散歩に行ったり絵を描くなど色々なことができるようになりました。

 

 

私が何か特別なことをしたわけではありません。

 

ただひたすら、Aさんの話を聞き続けただけでした。

 

Aさんが「~したよ、がんばったよ」と言いに来ると、「すごいねー、がんばったね!」と一緒に喜び、悔しいことがあったと話しに来ると、「そう、それはつらかったね。」と本人の辛い気持ちを受け止め、本人の話を一生懸命聞きました。

 

Aさんは、一日の活動が終わる夕方になると私のところに来て、「○○さん(私の名前)、あのねー、今日は~をしたよ!」と笑顔でたくさんおしゃべりをするのが日課になりました。

 

 

職員は、食事や入浴をしたがらない利用者さんにやる気が出るよう、色々と声掛けを工夫して誘い出そうとします。

 

居室から出たがらないAさんに入れ替わり立ち替わり、様々な職員が声をかけに行きました。

 

中には、「食事に行きなさい」のような指示的な声かけをする職員がいました。

 

そうするとAさんはますます居室から出ないという意思を固くしてしまいました。

 

 

食事や入浴など、大切なことをしようとしない利用者さんに対し、職員はつい、そのことについてばかり本人に話しかけ、本人の思いや言いたくても言えないことがあるのではないかということに思いを向けるのがおろそかになるのかもしれません。

 

本当は、そんなことでは支援のプロとは言えないのですが。

 

ふだんから自分の気持ちをわかろうとせず、話を聞こうともしない人が、注意するときだけ自分に話しかけてきても、心が動かないのは当然ではないかなと思います。

 

Aさんは、私がAさんに何かをしたから食べられるようになったり部屋を出られるようになったりしたわけではないと思います。

 

おそらくAさんは、自分の気持ちや思いを真剣に聞いてわかってくれる人、本人の一歩一歩の頑張りを一緒に喜んでくれる人がいることで、Aさん自身の持てる力を発揮できたのではないでしょうか。

 

けれども、私が辞めたことで思いを話せなくなったり、食事が食べられなくなるのでは、私の支援は良い支援とは言えません。

 

支援の途中で辞めざるを得なかったことを、Aさんに本当に申し訳なく思います。

 

 

そういえば、私の祖母は、私の話をいつもにこにことうれしそうに聞いてくれました。

 

そして、「○○ちゃん(私の名)すごいねー」「○○ちゃん、ありがとう」と常に尊敬と感謝の気持ちをもって接してくれました。

 

そんなことを自然体でやっていた祖母のすごさに今ごろになって気がつきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

微力でも行動してみる

トルコ・シリア地震の惨状を見て自分は何もできないため、国境なき医師団を通じて寄付をしました。

 

わずかな寄付でこのように公にするのは恥ずかしいのですが、この震災のことで胸を痛めている方が、私の話をきっかけに何か行動することができたらと思い、書くことにしました。

 

国境なき医師団のホームページから少し引用します。

 

国境なき医師団は、国際的な民間の医療、人道援助団体です。」

 

国境なき医師団は、苦境にある人びと、天災、人災、武力紛争の被災者に対し人種、宗教、信条、政治的な関わりを越えて差別することなく援助を提供する。」

 

国境なき医師団の活動資金は、その9割以上を個人をはじめとする民間からの寄付に支えられています。これにより、資金の独立性を保ち、いかなる権力からの影響も受けず、自らの決定で必要な場所へ援助を届けることが可能になります。」

 

被災したシリア北西部は、反体制派地域のため支援が困難であるとニュースで報じられています。

 

国境なき医師団は、地震の前からこの地域で支援を行っており、自らも被災者でありながら地震後すぐに援助を始めたとのことです。

 

私がこの団体を知ったのは10年以上前だと思うのですが、震災後にホームページでシリア北西部の反体制派地域で支援を行っていることを知りました。

 

シリア北西部に支援を届けたいとの思いから、この団体に寄付することにしました。

 

ずいぶん前にアメリカに留学していたころのことですが、学生寮で私の隣の部屋にシリアからの留学生が住んでいました。

 

その学生になにげなく「国に帰らないの?」と聞いたら、「危なくて帰れない」と言っていたのを思い出しました。

 

シリア北西部は、国境なき医師団のホームページによると、長年の内戦、経済低迷、コロナ禍、最近のコレラ流行によってすでに人道危機に陥り、医療体制は限界だったそうです。

 

地震の前から人口の半数以上が避難生活をしているところへ大地震が襲ったという状況で、大規模な支援活動が必要と国境なき医師団は訴えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

森の朝散歩を1か月半続けてわかったこと

前職を退職する直前、心身ともに疲労し、気力、体力の限界でした。

心身の健康を取り戻そうと森の朝散歩を始め、1か月半が過ぎました。

その効果はどうだったのかを書きたいと思います。

 

この1か月半、就職活動で行かれなかった日を除き、毎日森へ歩きに行きました。

部屋で考えていると「なにから手を付けていいかわからない、自分にできるだろうか」と不安になったり、なんだかやる気が出てこないと感じたりすることがありました。

そのようなときに森に歩きに行くと「まずはこれをやってみよう」と前向きな気持ちになってきたり、アイデアが湧いてきたりということが度々ありました。

そうやって、ひとつひとつ片付けていくうちに、いつのまにかゴールが見えてきました。

 

朝散歩と言いつつ、昼に行ったり、夕方に行ったり、朝と夕の2回行ったりしたこともありました。

朝に歩くのが一番気持ちよく感じましたが、昼や夕方に行っても効果があると感じました。

歩くこと、特に自然の中を歩くことは、頭と身体の疲労回復に効果があると実感しました。

 

私が自分に効果があると思った歩き方を挙げてみます。

一人で静かに歩き、鳥の声や鳥が木をつついたり、枯葉を踏んで歩く音など生き物の気配を感じながら歩く

時には立ち止まって、生き物の音に耳を傾ける

木漏れ日や青い空、木々が空に伸びる姿の美しさを味わいながら歩く

といったところでしょうか。

 

毎日森の散歩を続けられたのは、健康の為だからではなく、とても気持ちが良かったからです。

行かれない日は疲れが取れず、行かれなかったことを残念に思ったほどです。

健康のためというより、今では楽しみ、というか、趣味になっています。

近くに歩ける森がある環境に住んでいる方ばかりではないと思いますが、自然の多い公園や遊歩道などでも効果があるのではないかと思います。

また逆に、熊に襲われる危険がある地域の方は、一人で静かに歩くと危ないと思いますので、熊対策を行ってくださいね。

森の朝散歩、おすすめします。

今日の森 雪が解けました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祈り

私の住む地域はめったに雪が降りませんが、今日は大雪警報が出て、どんどん降り積もっています。

この雪を見ていると地震で被災したトルコ、シリアの人たちが焚き火で暖をとっているニュース映像を思い出し、悲しくなります。

トルコ、シリアの地震のニュースを見ると、あまりの悲惨さに胸が苦しくなります。

暖かいコートを着せてあげたい、がれきの下から早く出してあげたいと思うのは私だけではないはずです。

命が助かりますように、心から祈ります。

 

いつも散歩する森も雪景色