移住にお金はかかるけど、支援を受ければ大丈夫。
前回のブログで移住はお金がかかると書きましたが、色々な支援制度があり、その対象であればたくさんの支援が受けられるということを書きたいと思います。
前回の私のブログを読んでくれた人の中に移住しようとしている人がいたら、その人をがっかりさせてはいけないと思い、補足しようと思いました。
(私のブログにたいしたアクセスがあるわけではないので、取り越し苦労だとは思いますが笑)
私の場合でいくと、移住先の市から福祉、介護、保育、看護の資格のある移住者に支援金や家賃補助などの支援があります。
ただし、正規雇用が条件なので、私は対象外でした。
市が就職の面接や施設見学の際の旅費の一部を補助してくれる制度もありますが、私はハローワーク(雇用保険)から旅費が出たので、申請しませんでした。(これについては下記参照)
その後、移住先の県からも東京、神奈川、埼玉、千葉から移住する福祉、医療関連職の人に移住支援金があることがわかって、そちらは私も対象のようなので、申請したところです。
私としては、県からこの移住支援金がいただければ、現地の家を見に行ったりするための往復旅費、引っ越し費用2回分(現住所から仮住まいへ引っ越し、そこで家を探して引っ越す)とそれに伴う旅費やカーテンや家具・家電の購入(大型家具・家電は引っ越し代がかかるので、ある程度処分する予定)などに使いたいなと思っています。
その市では、新規就農や漁師、起業を希望する人への支援事業もあり、起業する人には特に手厚い支援があるようです。
遠方での就職活動は、面接一つ行くだけでも交通費や宿泊費などけっこう出費があります。
私の場合、ハローワークで「広域求職活動指示書」というのを出してもらいました。
それをもって面接した事業所で所定の書類に記入してもらい、書類をハローワークに提出したところ、1週間後くらいに雇用保険から「広域求職活動費(つまり、面接時の旅費)」が支給されました。
これは本当に助かりました。
「広域求職活動費」をもらうにはいくつか条件があります。
雇用保険の失業給付の受給資格者であることが条件の一つなので、仕事をしながらの就職活動ではもらうことはできません。
そのほかの条件の一つとして、失業給付の受給手続きをしているハローワークから、訪問する求人事業所を管轄するハローワークまでの距離が一定以上と決められています。
交通費計算の基礎となる鉄道等の距離(往復)が、200km以上あること、水路及び陸路は、4分の1kmをもって鉄道1kmとみなすとのことです。
自宅からの距離ではなく、ハローワーク間の距離です。
距離の計算方法は私はよくわからないので、興味のある方は、ハローワークに確認してくださいますようお願いします。
そのほかにも常用求人であること等の細かい条件があるので、そちらも確認をお願いします。
「移転費」というのもあり、失業給付の受給資格者で一定の条件を満たすと移転の時の交通費や着後手当などが支給されます。
遠方での就職活動を考えている方は、ハローワークで聞いてみてはいかがでしょうか。
私の地域の管轄のハローワークは、広域求職活動費を利用する前例がなかったのか、まれなのかわかりませんが、この制度をわかる職員がいなくて、私からこの制度を利用したいと繰り返し言わなければなりませんでした。
この制度についての知識がなかったら利用できなかったかもしれないと思います。
この制度は失業手当の手続きの時にもらう「失業給付の受給資格者のしおり」にも書いてありますから、もし自分は対象かなと思われたら、しおりをよく読んで、ハローワークに利用したいと申し出てみることをおすすめします。
私は対象外でしたが、若い人や東京23区に通勤している人対象にはもっと手厚い支援制度があると思います。
国や移住を希望する地域での県、市それぞれの支援制度を調べてみると良いと思います。
私は、現地の移住センターの方に面談をしてもらい、移住に関する心配事やわからないことなどを聞いてもらいました。
それがとても安心につながりました。
移住センターの面談が終わり、外に出ると、一人の青年が庭の掃除をしながら「あなたも移住するのですか?」と聞いて来ました。
「はい」と言うと、「私も先月移住したばかりです。よろしくお願いします」と青年が笑顔で言いました。
新しい土地での良い出会いを予感させるようで、なんだかとてもうれしくなりました。
このブログが、移住する方のお役に立てますように。
夢への全力疾走
春からの仕事が決まりました。
高齢者福祉関係の契約職員です。
仕事さがしは年齢的に苦戦すると思っていましたが、予想に反し、すぐに見つかりました。
すぐに見つかった要因を考えてみました。
正職員ではないこと、地方の福祉、介護の人材不足が自分が思っていたより深刻だったということかなと思います。
私は、移住したらその地域に根を下ろし、微力でも何か自分ができることで地域に貢献したいと思いました。
調べてみると、ある市が、福祉、介護、看護関連の資格を持ち、移住後にその地域の福祉、介護、看護関連職に就く人を求めているということを知りました。
必要とされるところで働きたいと思い、その市への移住を考え始めました。
そしてこの度、その市での就職が決まりました。
昔、高齢者センターで働いていた時、利用者にその地域出身の方がいらっしゃいました。
「とてもいいところだよ」とその地域の民謡を歌い、懐かしそうに繰り返し話していたことを今でも思い出します。
移住先として考え始める前は、私はその地域に行ったことがありませんでした。
調べるうちに海や山など自然が豊かであること(釣りと森歩きがしたいので!)や、移住者に積極的な支援を行っており、移住後も移住者や土地の人たちとの交流の機会をたくさん作っていることなどを知り、さらに興味を持ちました。
まだ仕事をしていたころ、初めてその地域を訪れ、車で市内を一周してみました。
これで少し地名や位置関係がわかるようになりました。
そして、その地域が私の好きな里山の景色だったので、このような風景を眺めて暮らしたいと移住への思いが膨らみました。
現地の移住センターを訪問して、地域の特性や気候、生活費、引っ越しの費用や引っ越しの仕方、移住者の暮らしぶりや移住者への支援などについていろいろなことを教えてもらいました。
実際にたくさんの人が移住し、移住者同士の交流があることも聞きました。
訪問中は、美しい山と海の景色に目を奪われながら、引っ越したら釣り三昧するぞ、おいしいお刺身をたらふく食べるぞ、友達たくさん作るぞ(小学生か笑)と胸を躍らせていました。
その時期、私は仕事が辛すぎて辞めようかどうしようかと真剣に悩んでいました。
それでも人生に前向きな気持ちを持ち続けることができたのは、夢があったからだと思います。
こどものころ自然の中を駆け回って過ごし、いつかまた自然の中で暮らしたいと30年もの長い間思い続けているにもかかわらず、これまでは実現する勇気を出せませんでした。
そんな小心者の私が、仕事での辛い経験が踏み台となって、夢へと大ジャンプ(私の中では)することができたのです。
今になってみると、私にとっては、現役のうちに移住に踏み出せてよかったと思います。(移住の適期は人それぞれですから、あくまでも私の場合です。)
前職では、持っている資格をあまり生かし切れていませんでしたが、今度の就職で自分が勉強、経験したことが生かせることになったからです。
人生何が幸いするか、わからないものだなと思います。
それにしても、遠い土地への移住は、お金も体力も精神力も必要だなと思う日々です。
このところ毎日、私は断捨離と戦っています。
引っ越し代に何十万円もかけられないので、持って行くことのできる荷物が限られてしまいます。
若いころ、小さなスーツケース一つでアメリカに留学しました。
それが今は、いつの間にか増えたたくさんの荷物で国内の引っ越しですら四苦八苦しています。
あのころの身軽さはどこへ行ってしまったのでしょう。
これは、身軽になるチャンスかもしれません。
毎日、処分する、しないで頭を悩ませていると、断捨離は奥が深いなと思います。
物は自分で扱える量にし、物に人生を支配されないようにしたいです。
夢への一歩
就職活動を始めました。
今の住まいからは遠く離れた、今まで住んだことのない、ある県へ移住しようと考えています。
長年の夢をかなえるためとはいえ、知らない土地へ行くのは怖さや不安もあります。
でも、やらないで後悔するより、チャレンジして失敗しても、その方が自分としては納得できるのではと思いました。
それで、勇気をふり絞って、ついに一歩を踏み出しました。
住まいも探し始めました。
市役所に相談したところ、はじめは移住希望者用の体験住宅に住まわせていただき、その間に家を見つけることになりそうです。
これからは、夢に向かって進んでいきます!
就職活動や住まい探しをしながら、このように行動できたのも前の職場の経験があったからかもしれないな、と思いました。
私の性格からして、現状に満足して楽しく生活していたら、転職したり、知らない土地に移住したりといった勇気は出せなかっただろうと思うからです。
辛い経験や悔しさが私のバネになり、いつもは出せない力を出せたような気がします。
でもだからと言って、パワハラが良いということにはけっしてなりませんが。。。
私の半世紀以上の人生には「生きるのって、なんて大変なんだろう」と思う時期が何度かありました。
20年くらい前のそんな時期、電車のつり広告で「ピンチはチャンス」というのを見ました。
ああ、私はいまピンチだけど、それってチャンスなのかな、と思った記憶があります。
私は資格を3つ持ち、それが今はなくてはならないものとなっていますが、そのうちの2つは「生きるのって、なんて大変」と思っていた時期、どん底のなかでなんとか抜け出そうとあがきながら取得したものです。
ピンチの時には、ふだん出ない力が出るのかもしれません。
でも、私のピンチなどは、もっと大変な経験をした人からみれば、大したことはないと思います。
私は福祉の専門職として、いろんな方々の支援をしてきました。
その中には、何と声をかけたらよいかわからないような大変な経験をされた方たちがいました。
その方たちの味わった人生の辛さは、経験していない者には想像できないほどのものだろうと思います。
その方たちの声に耳を傾け、思いを聴き取り、本人が希望や夢を見い出していく過程を共に歩んでいく、そんななかで、自分の小さなピンチの経験が、その方たちの思いに寄り添うことに少しは役立っているのかなと思うことがあります。
福祉職の良いところは、自分の経験、特につらい経験、悲しい経験が無駄に終わることなく、利用者の方の気持ちに寄り添うことに生かされるかもしれないというところだと思います。
利用者の方が勇気をもって一歩を踏み出せるようあたたかく寄り添い、一歩を踏み出したときにともに喜び合えるような支援者になろう、と自分の一歩を踏み出してみて改めて思ったのでした。
どうか自分を大切に
職場に行かなくなってから、半月たちました。
毎日の森の朝散歩でずいぶん元気になりました。
吐き気が止まり、胃の痛みがなくなり、おなかが空くようになりました。
ずっと下痢気味だったおなかが治りました。
ずっとおなかがゆるいので、そういう体質だと思っていたくらいなのに、うそのように止まりました。
退職した職場に用があり、電話をしました。
電話に出たのは、パワハラ上司でした。(思い出すとしんどいので、あまり詳しくは言えませんが)
電話口からの威圧的なやりとりに私の動悸は激しくなり、心臓をギューッとつかまれたみたいに胸が痛くなりました。
電話を切った後は、ぐったりと疲れてしまいました。
その後、森に歩きに行きました。
森の中は静かでぽかぽかと暖かく、木々の間からきれいな青空が見えました。
小鳥が枝から枝へ飛んだり、木をつついたり、しっぽを上下にふったりする光景を見ているうちに、私は落ち着きを取り戻しました。
そして、退職したのは間違いじゃなかったんだなぁーと思いました。
電話で自分の身体が思いがけない反応をしたことに驚き、気がついたのです。
自分の気持ちに蓋をして気づかないふりをしていたけど、身体は悲鳴を上げていたということに。
その上司が異動してきてからたった9か月の間に、その人が理由で正職員が6人退職しました。
職務に忠実に、まじめに働いてきた同僚たちでした。
そのような人たちだったからこそ、よけいに辛かったのではないかと思います。
職務に忠実にまじめに働いていても、パワハラは起こります。
今そのような目にあっている人には、「自分の心や身体を理不尽に傷つける人から逃げて」と言いたいです。
どうかご自分の心と身体を守ってください。
生活の心配があるかもしれませんが、心と身体をこわしては本末転倒です。
どうかご自分を大切にされますように。
立つも座るも自由にしたい
老人ホームで介護職員をしていた時の話。
私はいつも、小走りで仕事をしていました。
やることがいっぱいあったからです。
起床介助、排泄介助、食事介助、水分補給、シーツ交換、等々、手際よく仕事をしないと間に合いませんでした。
フロアには30名ほどの利用者さんがいらっしゃいましたが、足腰がふらつき、歩くと転倒するリスクのある方がほとんどでした。
利用者さんが立って歩こうとすると、職員はよく「座ってください、座ってください」と言っていました。
私は、「座ってください」と言いたくありませんでした。
利用者さんが立つと、私は手を止めて、すぐにそばに行きました。
利用者さんが歩くと、転倒しないよう見守りや介助をしながら一緒に歩くようにしました。
老人ホームはお年寄りにとって生活の場であるから、生活者として立つのも座るのも自由じゃないか、と思ったからです。
もし私が利用者だったら、職員に「座ってください」と言われたら、小心者なので立つと注意されるかもと思い、なるべく立たないようにするのではないかと思います。
そしてますます歩かなくなり、足が弱ってしまうのではないでしょうか。
足腰が弱り、転倒のリスクがあるからこそ、なるべく歩いたり動いたりした方がよいのに、転倒させないために座りっぱなしになっていることがとても皮肉に感じました。
しかし、職員を責められない気持ちもあります。
利用者さんに付き添っていて時間内に業務が終えられず、他の利用者さんや職員に迷惑をかけてしまうかもしれません。
付き添っているときに利用者さんが転倒してしまうかもしれないというリスクもあります。
もともと職員が足りず、余裕をもって利用者さんに寄り添うことが難しい現状がありました。
それに、いつも小走りで忙しそうな職員に利用者さんは「~に行きたい」とか、「少し散歩したい」とか、相談しようと思うでしょうか。
しかたがない、と我慢していた方がおられたのでは、と胸が痛みます。
銀行に行ったとき、フロアの目立つところに2人、立っている行員さんがいました。
私がどうしたらよいか迷って立ったままきょろきょろしていたら、さっとその行員さんが来て「どうなさいましたか」と聞いてくれました。
私が解決したい問題に耳を傾け、書類の書き方を教え、しかるべきところまで案内してくれました。
老人ホームにも、このような人がフロアにいると助かるのではないかと思いました。
その場、その時に必要なことにすぐ対応し、しかるべきところにつないでくれる人。
困ったことや聞きたいことを気軽に尋ねることができ、耳を傾けてくれる人。
一人ひとりの利用者さんに寄り添って、歩きたい人には付き添い、話をしたい人には傾聴してくれる人。
介護職員が人手不足のなか、それは難しいのでしょうか。
介護職員だけでなく、相談員の役割でもあると思うのですが、相談員も忙しいのでしょうか。
色々と課題はありますが、それでも、利用者が望む、その人らしい暮らしができるよう手助けしていくという介護の考え方から見て、立つ、座るくらい自由にしてもらいたいと思いますし、利用者さんが安全に歩き回れるよう工夫をしていけたらと私は思うのです。
走らなくていいよ
道を歩いていたら、正面から小さな女の子(4、5才くらい)が自転車の練習をしながらこちらに向かって進んできました。
そして、私に気づいて止まって待ってくれました。
私はあわてて、走って横を通り抜けようとしました。
すると女の子は私の目をまっすぐ見て言いました。
「走らなくていいよー。」
私は驚きとうれしさで、思わず「ありがとうーー!」と満面の笑みで女の子に言いました。
小さな女の子のやさしい心遣いにとても幸せな気分になり、その後もそのできごとを思い返していました。
次の日、山にハイキングに行きました。
山では一応、登り優先というルールがあると以前教わったことがあるのですが、細い山道でのすれ違いでは、登り、くだりにかかわらず、この日は自分が止まって道をゆずるようにしました。
自分でもなぜだかわかりませんが、女の子に道をゆずってもらったことがうれしかったので、自分もやりたくなったのでしょうか。
私が道をゆずって止まっていると、たいていの方が「ありがとうございます!」「こんにちはー!」等、気持ちよく声をかけてくれました。
あわてて通ろうとする方には「ゆっくりどうぞ」と声をかけました。
安全な場所で先に止まって待つというのは、山道を安全に通過するという点で良かったと思います。
ただ、それだけではなく、小さな女の子の優しい心遣いが大人の私の行動を変えたということが、私にとっては大切な気づきでした。
ブログを書くようになり、他の方のブログを読むようになりました。
他の方のブログからは、色々な気づきや感動、思いなど、たくさんのことを学ばせていただいています。
私のブログのできることは、社会の中ではほんとうにささやかかもしれません。
それでも、私のブログを読んだ方の気持ちが軽くなったり、なにかにチャレンジする気持ちになったりすることができるようなブログに育てていきたいなと思うようになりました。
まだまだ勉強していくことがたくさんありますし、私のできることは小さなことと思いますが、あの女の子のように思いやりをもって今自分にできることをしていけばよいのかもしれないな、と考えた今回のできごとでした。
お正月に働いてくれてありがとう
私は福祉の専門職です。
お盆や正月も普通に働いていました。
仕事帰りにスーパーに立ち寄り、なじみの店員さんの姿を見ながら「お互い正月に仕事で大変ですね、お疲れさまです」と心の中で言ったものです。
今年は退職して久しぶりに家で正月を過ごすことになりましたが、宅急便のお兄さんや郵便屋さん、バスの運転手さんを見ると、「お正月に働いてくれてありがとう!」となぜか熱い気持ちになってしまいます。
感謝の気持ちが湧いてくるってことは、心の疲れが癒されてきたということなのかなと思ったりします。
心身の癒しのために森の散歩を始めて、1週間たちました。
近所の森だけでは物足りなくなり、ちょっと足をのばして低山へハイキングに行きました。
毎日歩いていたからか、上り坂でも足がどんどん前へ出て、小気味よいペースで高度を稼いでいきます。
針葉樹の香りに深呼吸をすると、その澄んだ空気に全身の細胞が洗われるようです。
陽だまりを見つけてリュックをおろし、家で握ってきた玄米おにぎりをほおばりました。
山で食べるおにぎりって、なんでこんなにおいしいんだろう!幸せです。
このあいだまでこたつに首までもぐってごろごろしていた私は、どこかに行ってしまいました!
福祉の勉強を始めたころ、「燃え尽き症候群」というのを教わりました。
福祉職のような対人援助の仕事は、一生懸命やりすぎて燃え尽きてしまうことがあるということだったと思います。
今回の私の状態は、これだったのかもしれません。
私は、利用者さんが一日の終わりに「今日は良い日だった」と満足し、安心して眠れるような毎日を過ごせるよう、利用者さんと一緒に考え、歩んできたつもりです。
私は自分の仕事が好きです。
先のことはわかりませんが、また利用者さんと笑ったり泣いたりしながら、ともに一日一日を歩んでいけたらうれしいです。